夢と現実の深夜便

NEWS・シゲ担の偏った目線からお送りします

成亮がシゲアキになった時、シゲ担はどうしたのか

私は加藤成亮って字面が大好きです。
正直、名付けたご両親まで大好きです。
成亮って格好良くないですか?(シンプルな理由)

だから最初、シゲアキって片仮名表記に変わったときすごーーーーく残念で。変わったあとも2、3回は『成亮』表記の団扇のまま行っていました。
ファンサを貰えた思い出もあるし、っていうのもあったんだけど、それ以上に『成亮』って名前のファンでもあった。

成亮時代からファンっていう気持ちより、
成亮って名前のファンだった。

なんだかチグハグな感情ですね。笑

そして話は変わりますが、私は絵や文章を描くタイプのヲタクです。アイコンも形が丁度良かったので、数年前に描いたものを流用しました。
好きなアイドルやキャラクターを描くのが、一般的なファンアート描きの心理かなと思うんですが、私の場合はそこへ「より好きになるために描く」というのも加わります。
言うなれば絵を描くことはモデルの良さを引き出すこと。
カメラマンがモデルに「いいよ、いいよー!」と声を掛けて魅力を引き出すことに近いんじゃないかな、とカメラマン経験は特にないですが!私はそう思っています。
描くことは相手を知っていくこと、相手の魅力に積極的に気付いて、個性的な部分があればそれをなるべくポジティブに昇華させること。
人によって違いますが、似顔絵ではないファンアートでは私はそんな風に捉えています。

そして話を少しだけ軌道修正すると。
絵を描くと手が覚えて段々自分に馴染んできます。
自分という個体に描くことで赤の他人を馴染ませる。
私自身も漫画を描きますが、漫画家が「キャラクターが勝手に動き出す」とか話すのも多少この感覚を含んでいるんじゃないかな。
小説だってそう(小説も書きます)(創作DD)。自担も翔くんとの対談で言ってましたね。翔くん、引いてたけど!笑

本格的に話を元に戻します。
その上で、今言う??ってことですが、シゲアキという片仮名表記もね、私は嫌いじゃなかった。漢字+片仮名の名前が好き。なんなら私自身も昔同じタイプのHNを使っていました。
でも成亮への思い入れが半端ない。
とはいえ自担の新出発や決意や今後の活動もすんなり迎え入れて、受け止めて、応援したい。
そこで「より好きになるために描く=書く」が私の結論になりました。

ツイッターで、しげでもシゲでもなく、
シゲアキと呼び続ける。
自分ルールに等しい決意をした私は、
それから数年はシゲアキって呼んでました。

するとどうでしょう!
すっかり馴染んで、先日放送された『旅する落語』で高座に上がった自担の下手に掲げられた『加藤シゲアキ』の名前なんて、もう!鼻が高いなんてものじゃない、たまらない高揚感がありました。
元から落語を嗜む男子が性癖でもあり、相乗効果はえげつないものでした。余談ですね。

そんなこんなもあり、シゲアキ表記を自分に馴染ませたい私の感情は、いつの間にか成就していました。


で、気付いたらシゲちゃん呼びになってました。


d=(^o^)=b


いや~~~~~
いや~~~~~~~~~~
………………だって、ねぇ?



シゲちゃんって
字面、可愛くないですか?(デジャブ)



おしまい